突然のさようなら

毎晩来ていたオスのカエルちゃんが、とうとう来なくなりました。たぶん一週間以上は来ていたと思います。

彼は長いほうです。たいていのカエルは2,3日でいなくなります。小さい虫が相変わらず窓に来ていたとしても、です。
いつも窓の下に当たり前のように見えていた、小さな白いかたまり(窓に張り付いたカエルのおなかのこと)が見られなくなるのは、本当に残念です。

いったい、どういった理由で来なくなるのでしょう。
いわゆるピクチュアハラスメント(造語)でしょうか。来るたびに、勝手に撮られる、落ち着かない、ちょっと怖い…そう思われていたかもしれません。

もしくは、飽きたのでしょうか。新天地を目指したくなったのでしょうか。

カエルは大体、長期間ではないにしても、決まった場所にいるような感じがあります。それは鳴き声でわかります。この鳴き方はいつも庭にいるあのカエル、といった具合に。

ところがある日、急に別の場所へ出かけたくなるのかもしれません。きっと、なんらかのリスクヘッジなのでしょう。

近くの神社の石段に、擬態した今年産まれたばかりのアマガエルのちっちゃい子がいました。でも、近くには池も田んぼもないのです。いったい、この子はどこから来たのでしょうか。
擬態している様子から察するに、それなりの期間ここにいたと思われます。遠い旅の結果、ここにいることに決めたのかもしれません。
近くに手水舎があるので、水はそれで事足りる…わけはないと思いますが。

深夜近くなると、また赤ちゃんガエルが来ていました。写真を撮ると、窓に張り付くのをやめて、葉っぱのほうへ行ってしまいました。

また、あのカエルちゃんが戻ってくるのを待ちながら、違うカエルちゃんがやってくるのも待ちたいと思います。

赤ちゃんガエルが来た

先日、もう隣の休耕田から新しいカエルは産まれない、と嘆きのブログを投稿しました。
そんな矢先、朝、いつものように窓をのぞくと、いたのです!
アマガエルの赤ちゃんガエルが。ほら見てと言わんばかりに。

窓にはグリーンカーテンがあります。ゴーヤで出来たものです。
そのつるを登ってきたのでしょう。小指の爪ほどにしかない小さな体で。
ここまで登ってきたことも驚くべきことですし、さらにこのカエルちゃんが産まれたという奇跡。
相当な運の持ち主と見てよいでしょう。
なにしろ休耕田の水たまりはすぐに干からびてしまうのです。
どこかにオタマジャクシからカエルの姿になるまでの一ヶ月を過ごせる水たまりがあった、ということでしょう。
どうか他にもたくさんの赤ちゃんガエルが育っていることを、切に願うばかりです。

このかわいいおチビちゃんは、夕方くらいまで窓の外のゴーヤの葉っぱに乗って、ときどき姿勢を変えながらのんびりと過ごしていました。時には、やってくるアリをパクつきながら。

夜になると、どこかに行ってしまいました。

カエルのパーソナリティ

誰ひとりとして、同じ性格の人は存在しないように、カエルにもまた性格があるようです。

大きく分けると、まず種類ごとにおおまかな性格があります。
あなたの家の近くでもきっとよくいる「ニホンアマガエル」と「ヌマガエル」の場合、アクティブなタイプはヌマの方で、例えるならトレンディなスポットに出かけることが多く、ほとんど家にいないタイプといえるでしょう。
対して、アマガエルは週末たまに出かけることがあっても、家で本を読んだり、ゲームをする方が好きなタイプといえます。

なぜそう思うかというと、実際に田んぼの道など歩いていて、ぴょんぴょんと道に出てくるのはヌマガエルです。
ヌマの赤ちゃんガエルは、小さいにも関わらず積極的に外の世界に出てきます。
恐れをしらないといった風に。

しかし、アマガエルはたいていが、緑の葉っぱの上でネコのように香箱座りをして、じっとしています。
たまに同じ葉っぱの上に3匹くらい集まっていることも。
そんなときは、何やら相談しているようにも見えます。

個々のカエルの性格の違いで言えば、窓にやってくるアマガエルだけを見ていても如実に知ることができます。
たとえば毎晩のように窓にやってくる外交的なオスガエル。彼の特徴は濃い鳴嚢の色と、おなかの下のほうがすこし黄色みを帯びており、背中から口にかけてまだら模様があるところです。
このカエルは、まったく物怖じしません。
普通はわたしが顔を出すと、どこか違う方向に向いたり、隠れたりするカエルが多いです。
でもこのカエルときたら、いつも窓のセンターに来て、わたしの顔が近づいても気にしません。最初の頃は、その丸くて大きな瞳でじいっとわたしの顔を見つめていました。

逆に恥ずかしがりやの内向的なメスガエルは、先日まで来ていました。彼女はきれいな緑色の肌と、白いおなかをしていました。
それだけで言えば、特に特徴はなかったと言えます。でも隠れ方ですぐにわかりました。
彼女はわたしが窓をのぞいた一秒後くらいに、さっと身をひるがえし、葉っぱの向こうへ消えてしまうのです。いつもそうです。

先日書きましたが、隣の田んぼが休耕田になったことで、カエルたちは毎晩鳴くことは無くなりました。おもに雨の日だけ。
しかし、うちのお風呂場の近くを縄張りとしているアマガエル、彼だけは晴れていても鳴きます。人間でいえば20代前半のノリにノッている時期なんじゃないかと想像したりします。
でもかわいそうに、彼が鳴いても誰もいっしょに鳴いてはくれません。カエルたちはいつも誰かが鳴き始めると鳴く習性があるのですが、彼には誰も追従しないのです。
もしかしたら、「またアイツ鳴いてるよ、晴れてるのに」くらいに思われているのかもしれません。

まあそういった具合に、カエルたちはそれぞれ個性を持っています。
見ていて飽きることはありません。

休耕田とカエル

なぜ油断していたのでしょう。
まさか隣の田んぼが休耕田になるなど、思いもしませんでした。

それは一年前の6月のこと。
近くの田んぼがどんどん水を入れ終わっているのに、
隣の田だけはいつまで経っても入らず、休耕田になったことを悟ったのでした。

カエルのことを思うと、心が張り裂けそうでした。
どういうわけか、失恋したときと同じような痛みでした。
おなかの大きなメスを見ると、申し訳ない気持ちでいっぱいになったものです。

そして、やはり今年も休耕田のまま。
近くの田んぼへ行くと、赤ちゃんガエル※たちがたくさん密になっています。
けれども、家の近くでは赤ちゃんガエルは見ません。

窓にやってくるオスの鳴嚢は、赤黒くなっています。
この時期のカエルなら当たり前なのかもしれません。
ですが、水がなくて産むに産めないメスが多く、呼べども呼べども出会えないゆえに、余計にたくさん鳴いたのではないかと想像してしまいます。

ここのカエルは直にいなくなってしまう…想像したくもありません。
カエルが窓にやってこない夏なんて、完全な夏とは呼べないでしょう。わたしにとっては。

こうしてブログを書いている夜、カエルはときどき鈴のようなさざめきで、鳴いています。
無邪気なカエルにとっては、この残酷な現実があったとしても、ただ本能のままにやるべきことをやっているのでしょう。

いま聞くことのできるカエルの合唱を大切にしながら、世の中に不変なものなどなにもない、ということを改めて感じ入る今日このごろです。

※本来なら赤ちゃん的状態は、おたまじゃくしだと思いますが、あえて。