休耕田とカエル

なぜ油断していたのでしょう。
まさか隣の田んぼが休耕田になるなど、思いもしませんでした。

それは一年前の6月のこと。
近くの田んぼがどんどん水を入れ終わっているのに、
隣の田だけはいつまで経っても入らず、休耕田になったことを悟ったのでした。

カエルのことを思うと、心が張り裂けそうでした。
どういうわけか、失恋したときと同じような痛みでした。
おなかの大きなメスを見ると、申し訳ない気持ちでいっぱいになったものです。

そして、やはり今年も休耕田のまま。
近くの田んぼへ行くと、赤ちゃんガエル※たちがたくさん密になっています。
けれども、家の近くでは赤ちゃんガエルは見ません。

窓にやってくるオスの鳴嚢は、赤黒くなっています。
この時期のカエルなら当たり前なのかもしれません。
ですが、水がなくて産むに産めないメスが多く、呼べども呼べども出会えないゆえに、余計にたくさん鳴いたのではないかと想像してしまいます。

ここのカエルは直にいなくなってしまう…想像したくもありません。
カエルが窓にやってこない夏なんて、完全な夏とは呼べないでしょう。わたしにとっては。

こうしてブログを書いている夜、カエルはときどき鈴のようなさざめきで、鳴いています。
無邪気なカエルにとっては、この残酷な現実があったとしても、ただ本能のままにやるべきことをやっているのでしょう。

いま聞くことのできるカエルの合唱を大切にしながら、世の中に不変なものなどなにもない、ということを改めて感じ入る今日このごろです。

※本来なら赤ちゃん的状態は、おたまじゃくしだと思いますが、あえて。